suzu@kick diary

とあるキックボクサーの九転び十一起きな物語が現在、進行中です。

大きな木

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大きな木をみるとつい触ってみたくなる。
手のひらを太い幹にあてて静かに目を閉じる。
そうするとなんだかパワーをもらえたような気がしてくるのだ。

長い年月のなかで風雨にさらされて木肌はひび割れ、
傷をつくっても、それでもなお太い根は
捕食するかのように大地を強靱にしばりあげている。
己の生存欲求をみたすがごとく貪欲に根をひろげ、
大地から水と栄養分を吸い上げ、まっすぐに伸びていく。
障害物があれば丸ごとそれをのみこみ、根をはる場所がなければ
コンクリートでさえ強引にこじあけて根をはっていく。
そして、葉をどこまでも大きく広げて
太陽の光を一身に受けようとしている。

かつて訪れたカンボジアにあるタプロム遺跡はガジュマルの木が
遺跡そのものを食わんと巨大な口を開けているようだった。
かつての繁栄は朽ち、自然が宿す力に
人工物は何もできないということをまざまざと見せつけられた。
場所など関係なくどこでも生きていく。何十年、何百年と。
幾多の時代を乗り越えながら木々たちは成長をどこまでも続けていくのだ。

以前、樹齢二千年と言われている巨樹をみたことがある。
僕は初めて見たとき、その巨大さにただただ圧倒された。
大きな目で射すくめられたような心持であった。
じっと全体を見ていると、厳かにそこに存在する姿に
たくましい生命力を感じずにはいられなかった。
僕が生まれるはるか昔からこの木はここで根を伸ばし、
無数の生命に触れたくさんの動植物たちの生存を支えてもきたのだ。
また子どもたちの遊び場や誰かの出会いの場所であったり
時には祈りを捧げる人がここを訪れたかもしれない。

僕が育った地元にも樹齢三百年の大きな木があって
小さい頃に見上げたそれはとても大きく見えた。
幹の根元にぽっかりと穴ができていて、
そこに入っては自分の家ができたと嬉々として
涼しい木の中で遊んでいたのを覚えている。
それから数十年経つ今でもその大きな木は同じ場所に根を下ろしている。

桜の木を彩る花びらは散ってしまったが、その固い樹皮を破って
柔らかな葉をつけた小さい新芽が出ているのに気づいた。
やがてこの芽が育ち、葉を広げて光を燦々と浴びて
たくさんのパワーの結晶である花をつける日が再びくるのだろう。