suzu@kick diary

とあるキックボクサーの九転び十一起きな物語が現在、進行中です。

世界によって変えられない自分

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さらさらと。
生命(いのち)は、両手ですくった砂がすき間からこぼれ落ちるように進んでいく。

砂の落ちる量、スピードは知る由もない。
たしかなことは、砂は落ち続けること。
止まったり、途中で増えたりすることは絶対にないこと。
そもそも手のひらにのった砂がどれくらいあるのか、それは人それぞれ違う。

ゆっくり落ちても、与えられた砂が少なければすぐになくなってしまうだろう。
反対にスピードが速く落ちていく場合でも、与えられた砂がたくさんあれば落ちきるまでには時間は長くかかる。

時間は有限。いつかはここから消える。

僕にどれくらいの時間が用意されているのか、当然わかりはしないが、僕はこの一日一日をできる限りの範囲で記憶にとどめておきたいと思っている。

そのあらわれの一つでもあるけど、以前までは不定期的に書いていた個人的な日記を、今は毎日、寝る前に書いている。
それはありふれた生活の平凡で取り留めのない日々の記録と断片、それ以上でも以下でもない。

文字で余白が埋まっては次のページに移り、ノートが使い終われば新しいものを買っている。
今のノートを使い始めるとき、開いた最初のページにガンジーのこの言葉を書いた。

*****

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。

*****

日記を書き終わったあと、時おりこの言葉を読んでみる。

日々変わり続ける社会の中で、なんとかこうにか僕は生きている。
バランスを保とうとしながらも、時には弱り果て、お手上げのときだってある。

弱さについて僕はずっと否定してきたけども、弱さはどうしたってなくならず、今でも僕のなかに居座り続けている。

自分を否定してばかりいては、当然ぶれるし、地盤はすぐ揺らいでしまう。

その先に何かを手にしたとしても、結局それは仮初の武器にしかならないだろう。

日々の行為の連続の中で、自己を肯定し、そして僕は僕であるという思いを抱くことはよっぽど難しい。
それは自分の弱さと向き合うことでもあり、時には苦痛を伴うことでもあるから。

でも、そこにこそガンジーが言う「何ものにも変えられることはない自分」というものが、きっとあるのじゃないかなと思う。

変わるということに逃げてはいけないのだ。
この言葉を忘れずにして日々の生活を歩んでいきたい。

◇◆◇

地面に堆積した砂を掬い上げ、握った手の隙間から落としてみた。
こぼれ落ちるたくさん砂のなかに、小さくて朧げな砂粒でも光りを反射して、きらっと落ちていくものがあるのを見つけた。

あっ、と思った。
光りを受けて輝きながら地面に消えていった砂は、なんとも綺麗であった。

無常の風が吹くこの世界ではある。
それでも、生命の砂は落ち続け、風に飛ばされて、やがてどこかで新しい大地となるのだと思いたい。