suzu@kick diary

とあるキックボクサーの九転び十一起きな物語が現在、進行中です。

報告

今回の記事は、もうずっと前からここで言わなきゃいけないと思い続けていたことです。
記事は出来上がっていたのですが、今日こそは今日こそはと毎日思いながらも、なかなか更新ボタンを押すことができず、今に至ってしまいました。

そして、これが本ブログ最後の更新となります。
書き続けたら長くなってしまって、削ってはみたもののそれでもやはりまだ長い文章のままでしたので、お時間ある時にお読みいただければと思います。。

実は眼の見え方に関して以前から違和感がありました。
視界が二重に見える、近くのものが見づらいなどです。
その症状は、去年の春過ぎたあたりから更に悪くなってきている、そう感じました。
ずっと長い間、気にはしていたのですが、安易な自己判断や時間の経過に伴う視界の慣れなどがあったのも事実です。
そういったものが僕の本来取るべき行動を鈍らせていました。

しかし、一向に見え方が改善しないという不安が僕の中に生じて、いよいよ悪くなっていると思ったとき、僕の眼が今どうなっているのか、ここで動かなかったらもっと事態が悪いほうにいってしまう、そんな予感と焦りが直感的に湧き上がりました。
何が起こっているのかをもうはっきりさせないといけない、とにかく動こう、そう決意を固めました。
原因を突き止めて、普通に見えるようにしたいその一心でした。

病院を探して、眼科専門の病院で診てもらったところ、眼球の動きが悪いということがわかり、原因が骨か筋肉か神経なのか詳しく診てもらいましょうと、大学病院に紹介状を書いてもらいました。

大学病院での検査の結果は、眼窩の骨折だったのですが、受傷してから長い時間が経過しているということや眼球周りの組織の状態、骨折部位などから判断して手術は難しいという見解でした。
仮に手術したとしても完治することはなく、手術することによってもっと悪くなるリスクがあるとも。
やっと有効で具体的な解決策が、今日ここで提示されるはずだと思っていたので、その診断結果に頭がまっしろな状態になってしまいました。
全くの予想外でした。
どうすべきなのかと煩悶しながら、うだる暑さの中、家に帰ったのを覚えています。

別な医師にも診てもらって話を聞きにいきました。
そこでも見解は似たようなものでしたが、静岡の病院に眼形成専門の外科があり、全国から患者を受け入れていて多くの手術実績があるので、そこだと手術できるかもしれませんということで再度、紹介状を受け取りました。

可能性があるならばと静岡の病院に通院を重ねました。
診察と様々な検査をしてもらい、手術してみないとどれだけ良くなるか分からないということでしたが、手術するメリットはある、手術しましょうと担当医師が言ってくれたので、そこでの手術を決めました。
そして、9月に手術をして、しばしの入院生活を送っていました。

手術をして数日間経過した後、眼帯を取る日が来ました。
ゆっくりと眼を開いたさきに見えた世界は以前と変わらないものでした。
その時はここまで時間もお金も労力もつぎ込んだ、なのにこれなのかという気持ちでした。
それからすぐにリハビリをしつつ、経過をみていたのですが、改善の兆しはみられずでした。
覚悟はしていたので、絶望よりかは、ああやっぱりなという気持ちの方が強かったです。

この前行った術後の定期検査でも、見え方の範囲を示す数値上の変化はみられずでした。
医師の診断では、眼球を動かす筋肉が麻痺しているということでした。
つまり、大きな改善はこれ以上のぞめないということです。
僕自身、色々と調べていて、当初は眼筋かもしくは神経が麻痺しているのかと思っていたので、やっぱりそれもあったんだなと、医師の話を聞きながらどこか冷静でした。
骨折が先なのか麻痺したのが先なのか、あるいは同時だったのか、もはや知る術はありません。

僕は無理をする人間ですし、我慢強い人間でもあると思っていました。
ですが、それはただの自己満足でしかなかったのです。
手段が目的になり、それを取り違えたまま、僕は何を優先すべきなのかという至極簡単で当たり前のことを見失っていました。
いや、分かっていたけど自分を大事にするという意識が希薄であったのです。
自分を傷つけることに自己憐憫さえ感じていたのかもしれません。
先にあるものをおざなりにして、ここまでだったら無理をしても大丈夫というラインを既に越えていたのです。

僕は愚かでした。
競技をこれ以上続けることはできない、そう思う自分がいます。
その気持ちは今後、時が積み重なっても変わることはないです。
こんな形での報告となり、今の心のありようをどんな言葉で伝えれば正確なのか分かりません。

唯一救いがあるとするならば、責めるべき人間は僕以外、誰もいないということです。
全ては僕自身が自分勝手に、利己的な判断の元にやったことの代償であるということです。
自己責任という言葉は僕のような人間に使われるべきものです。
いつかの日の記事に、一番感謝しなきゃいけないのは何よりもまずこの身体、とぬかしていた自分を殴りたいです。

身体にはこれまで本当に頑張ってもらいました。
そして、この身体に傷をたくさん、僕がつけてきました。
ほんのわずか、うっすらと残る傷跡は死んだ細胞の抜け殻なんかではなく、今でも、その下で脈々と血は流れ続けています。
心臓の拍動にあわせて押し出される血液は体内を駆け巡り、生命に必須なものを運搬し、蘇生を図っているのです。
生きているからこその血潮の流れを今、強く意識しています。
何も滞ることなく、現在も生活は進んでいます、そしてこれからもです。

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僕は人間って変わることはできるのだろうかということを、ずっと命題として背負いながら生きてきました。
僕にとっては、強さを手に入れることは、それに対する答えをだすための手段でもあったのです。
人間なんていうものはどこまでいっても変わることは出来ない、そう思う自分が強固にいて、そんな自分に少しでもいいから、いや、そんなことはないんだと思わせる、そうゆう気持ちで、日々競技に取り組んできました。
少なくともあがくことはできるはずだと信じて。

人間を形作るものは、生得的であるとか、後天的なものとか、もはや興味はありません。
この生きてきた道は、自分が悩んで迷って決断して、そして今があります。
その選択は誰かに決められて選んだものではなく、僕自身が決めてきたことです。
逃げては自分を叱咤することの繰り返しでしたが、僕は自分に負けたくないと自分自身と闘ってきたつもりです。
出来ないことも多く、自分が嫌になることも多々ありました。
あがいて、うなだれて、そして妥協や諦めもたくさんせざるを得ませんでした。
それでも僕ができることはなんだろうという問いをくり返しながら、競技と向きあってきたのです。

一番必死に生きた時間でした。
充実の日々でした。
だからこそ、この状態でもまだできる、ここで止まりたくないと思いたかった部分もあるのです。
僕は僕なりに精一杯、自分と闘ってここまでやってきました。

この10年間で僕が得たものは一体何だろうかと考えます。
挑戦する気持ちとか努力が報われる喜びとか諦めない粘り強さとか、そういった主観的なものは今の現実において、自己肯定したいがためのとってつけただけの方便でしかないような気がします。
今後、それらは時間をかけて自分の中に見つけていくものだと思います。
でも、今はっきりと言えるものがあります。
それは競技を通じて、たくさんの人と関わり、切磋琢磨し、共に高めあい上を目指した時間は、様々な感情を共有できた時間は、僕にとって、これほどまでに生きているということを実感することはなかったということです。
そして、その中で生じた人との感情の触れ合い一つ一つが本当にかけがえのないものであったのです。
きっとそれは、僕自身がそれだけ競技に対して真剣だったからこそです。
精一杯、本気で競技と向き合ってきて良かった、僕は心からそう思います。

自分の弱さはどうしたってなくならず、僕自身、多くのことは一人じゃ何もできない人間です。
それを認めたくないから、自分を否定してきたし、失敗や評価を嫌がってきた面もあります。
でも今は、それを含めて僕という人間であるのだと、そう思っています。

人は個々違う、もちろんそれが大前提ですが、己を否定してしまうよりも、そのダメで弱い部分を含めて自分なのだと、自分の自我をまるっと受け入れることも時には必要なんだと思います。

弱さを認めることを甘えや妥協という人もいるかもしれませんが、人間は完璧ではないし、何にも動じずに受け入れるほどの強さを誰もが兼ね備えているとは言えないです。
むしろ弱さや脆さがあるのが普通で、大切なのはそれらとどう折り合いをつけ、認め、そして付き合っていくかということなのかなと思います。

ただし、弱いと思う自分がいる限り、己との闘いはまだまだこれからも続いていきます。
こんなところで立ち止まるつもりは毛頭ないです。
……あ、いや、それは言いすぎたかもです、、そんな風に言いたいところではありますが、止まるな自分とはっぱをかけているといったほうが正解かもです。。

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ここまで長々と文字を連ねてしまい、え、大丈夫なのとなるような重たい内容になってしまったのですが、僕自身いたって元気です。
日々、色んな人に会いに出かけたり、身体を動かしたり、本を読んだり、撮った写真を見たりしてはいつもと何ら変わることなく、笑って過ごしています。

去年の10月には、日本の百名山を制覇しようよと話している友達と、重いザックを背負って、大きい山にゆっくりと登りに行き、そこで見つけた夕陽に染まる、色づいた葉の輪郭に見惚れ、11月には、映画『クイーン』を観て、これはすごいものを観てしまったなといたく感動し、12月には、昔からの友達と一緒に、ステーキ食べ放題のお店に行って、鉄板に乗ったステーキを7皿食べてきて、そして、年末には前年と同じお店で笑門のしめ飾りを買い求め、家に飾って新年を迎えてと、アクティブ全開で活動を続けています。

人と人は、会うべき人に、会うべき時に出会うと思いますし、ふと思いがけなく誰かと繋がったりするとも思っています。
ですので、これが最後の更新となりますが、水滴が落ちて小さなゆらぎが広がっていくように、どこかで接点が生まれることがあるかもしれません。
その時は、えっ、あれ、おおっと驚き合いたいと思っています。
人生はどんな人に会うのかもう決まっているのかもしれませんが、生きて進んでみないとわからないのが、これまた人生ですね。
だから、この先の新しい繋がりに僕は期待したいです。
僕は繋がることができると信じています。

全てに、深くお礼を申し上げます。
皆様のこと何かの折に思い出したりするのだろうなと思います。
この先も、きっとたくさん迷うし、自己嫌悪になったりで、アップダウンのある道のりだと思いますが、失敗ウエルカムな気持ちで強がりながら、楽しみながら、これからの道々を突き進んでいきます。
そんな風に僕が思えるようになったということは、もしかしたら人間は変わることができるかもしれないということを信じていいのかもしれません。
流れ続ける水がどんな大海に注がれるのか、僕は最後までこの自らの目でしっかりと見てみようと思います。

もちろん、ちゃんと時々立ち止まって小休止しながら、ですね。
自分勝手ですみませんが、ブログは自分の意志でやめたいです。
ありがとうございました。
東京より敬意と感謝を込めて。(完)

鈴木雄大