suzu@kick diary

とあるキックボクサーの九転び十一起きな物語が現在、進行中です。

強さについて、あるいは弱さについて

僕は何故、強くなりたいと思っていたのだろうか。
それは強い人に憧れていたというよりも、むしろ弱い自分が嫌いだったからだ。

小さい頃から、僕は華奢で非力でケンカも弱かった。
その上、気も強くなく、自分からも色んなことからも逃げていた。
そんな自分だから、到底自分のことを好きになることはできず、いつも弱い自分を否定してきた。

あの時僕に力があればな、そうゆう思いが積み重なったその先に、もう変わりたい、強くなりたいという気持ちがどんどん芽生えていったんだと思う。
だからそのために、実に単純ではあるけど、僕は力という実質的かつ実際的な強さを希求するようになった。
強くなり、そして僕自身を肯定したかったのだ。

キックボクシングを始めたのも強くなるための手段であった。
ジムに入ろうと決めたのは26歳の時。
入門するまでに、生来のビビリのためゆうに半年かもしくはそれ以上の時間が経過していたが、今ここで強さを手にいれる機会を逃したら今後も変わらないと思った。

覚悟を決めて入門してからは、練習を通して鍛錬を重ねてきた。
力があること、何にも動じないこと、そうなるために日々トレーニングをくり返すことが日常の一部になるのに、そう時間はかからなかった。
そして長い時間を経て、現に僕は力を手に入れたし、精神的にもタフになったといえるだろう。

だが、どうだろうか。
確かに人並み以上の腕力も胆力もついたといえる。
でもそれはあくまでも限定的なものなのだ。
僕の中にはまだ弱いと思う自分を完全には拭いきれないし、恐怖や不安、自己否定感情はなくなることはない。
色んな場面で逃げられるなら逃げたいと願ってさえいる自分もいる。
それに気づいて、そんな自分がやっぱり嫌でもあったし、かっこ悪いよと自分を蔑むこともある。
そうゆう部分は小さい頃からなんら変わっていないのだ。

僕自身、強くなれば自信に満ちあふれ、弱さは少なくなるだろうと思っていた節がある。
でも、結局のところ僕は力を手にいれて強くなったところで、そういった弱さはなくなることはなくついて回ってくるのだと分かった。

事実、僕はプロになってからもジムの入り口のドアをくぐるのが恐くて、いつも気合いの声をよしっと自分にかけてドアをがらっとあけていた。
今日もやりきるとか乗り越えろとか逃げるなと毎日、声を自分にかけ続けてきた。
それは僕の中の弱さにはっぱをかけて、必死に自分を鼓舞するためだったといえる。

そうやって毎日練習して、できなかった自分にへこむことはいつも多い。
なんでできないんだろう、向いていないなと責めながら帰り道を歩く。
弱さを呪って自己否定ばかりしていたし、まったく楽しめない自分もそこにいた。

でも弱さはなくなることはないとわかってからだんだんと、であるならばもう弱さについて受け入れるしかないのではないかとそう思うようになっていった。
弱さはだれにでもあって、強さとともに自分の中にあるものなのだ。
当然のことながら、あれもこれもダメだったと否定していたらきりがないし、もう僕自身がもたない。
なぜなら弱さに対する否定は自分そのものを攻撃して、直面する世界をより重苦しいものにしてしまうからだ。

そう思うようになってからは、できなかった自分を責めるだけではなく、弱さを認めることもしていこうと決めた。
つまりは弱い自分との決別ではなくて共存。
できなくてもいい、下手でもいい、とにかく練習したことを試すこと、逃げずに果敢に勝負に出ることができたら周りがどう言おうと自分で自分を褒めてあげればいい。
その上で次への改善を考え、修正してまた試せばいい。

何度も何度も心の中で呟いた。
大きく前進しなくてもいい、ほんのちょっとでも進めばいい、そうやって積み重ねていこうと。

弱さをあんなに僕は否定していたが、弱さがあるから人は強さを手に入れることができる。
僕自身、弱さがあったからこそ強くなろうと思えたし、つらい練習も踏ん張ることができた。

不安とか心配とか、たくさんの弱い顔をこれからも出していくだろうけど、それを含めて自分であるのだから、大事なのは否定することではなく、弱さとどうやって付き合っていくかなのだ。
その先に自分らしい強さというものが備わってくる気がしている。